僕がユーザビリティに興味を持ったのは色弱だからだろうという話。

僕がWebに触れたのは主に2003年からで、すぐにWeb制作に興味を持ち、今日まで勉強し続けてきたのですが、多くのWeb技術の分野の中でも、特にユーザビリティに興味を持ったのはなぜなのだろうか。
そんなことを、最近ぼんやり考えていたのですが、最近になって僕がユーザビリティに興味を持ったのは、自身が色弱だからだろうという単純な結論に至りました。
ユーザビリティはデザインの一種で、これが正解という答えがない分野です。配慮に配慮を重ねても、なかなかユニバーサルデザインの実現は難しいものです。

UD を実現するには、バリアに気付く必要がある。

『障害・バリア』と呼ばれるものは、目には見えづらいものです。バリアに気付くためには、障害者の目線になるのが最も確実な方法だと言われています。
中学生の時に、ペアを組み、片方が目隠しをして目的地まで案内してもらったり、車椅子に乗って学校の中を移動してみたりすると、いつも当たり前だと思っていた感覚が通じず、世界はこんなにも恐しいものかと感じたのを僕はよく覚えています。
ただ、誤解してはならないのは、障害者にとってはそれが普通の世界(先天性の場合です)であり、不便と感じることはあっても、怖いと思うことはあまりありません。
しかし、その不便が、多くの健常者にとっては理解できないバリアであるため、少しの感覚のすれ違いで、障害者にとって、ちょっぴり不便な世の中が出来てしまうことがあります。

「紅葉おろし」か「柚子胡椒」か。

僕は自分がWeb制作をする際、少しでもバリアのないサイトを作ろうと思っています(実現できているかどうかは別として)。その際、気をつけているのは、目に見える情報をダイレクトには信じないということです。
色弱というのは、色が分からないというよりは「自身の見えている色が、自分の思っている色と違うことがある」というのが一番問題の障害です。
自分は赤だと判断して「紅葉おろし」だと思ったものが、実は「柚子胡椒」だったり、僕からすれば本当にどうでも良いささいな思い違いですが、そんな間違いをしない人にとっては、きっと目から鱗なのでしょう。
そうして間違ったことのある僕は、自分の直感をあまり信じなくなります。
ここが重要で、直感を信じなくなった僕は、いま自分が見ているものが「紅葉おろし」か「柚子胡椒」なのか判断がつかない場合、人に尋ねようとします。現実世界では、分からなければ人に聞けばいいのです。
ただし、Webはユーザーが全ての主導権を握っているメディアであるため、分からないことを人に尋ねることが難しくなっています。全て自分自身で理解する必要がありますし、そう作られているべきなのです。

Step1 誰でも理解できるように作る。

まずは、全ての人が迷わないように、説明文やナビゲーションをしっかりと整備していきます。このとき、ユーザーテストは大いに役に立つでしょう。
しかし、健常者ばかりのユーザーテストでは、障害者にとって理解できるか不安です。実際に障害を持っている人にテストしてもらうのが一番なのでしょうが、現実問題なかなか難しいものです。
そこで Step2 です。

Step2 装飾なしでも理解できるようにする。

僕がオススメするのは、装飾を外して利用できるかどうかをテストしてみることです。色や画像に頼らないでも、難なく利用できるサイトであれば、ひとまず及第点だと思います。
ただし、誤解してはならないのは、画像や装飾は分かり易さを手助けするものなので、できる限り沢山使った方が良いということです。大いに利用はするものの、そればかりを頼りにしてはならないというが僕の見解です。
「これで全ての人が本当に理解できるのだろうか?」と、根気よく何度も問い掛けて、自分が見ているものを何度も疑い続けることが、ユーザビリティの向上に繋るのです。

昨今の UI/UX について。

最近、UI/UX について盛り上っており、IAとして勉強をつんできた僕としては、大変嬉しい風潮ではあるのですが、ユーザビリティアクセシビリティユニバーサルデザインという言葉をあまり聞かなくなり、そこらへんの配慮については、どうなっているのかなと若干不安にも思っています。
僕としては、まずユーザビリティありきで、その上でどんな体験を与えられるのかが、デザイナの仕事だと思っているので、これから UI/UX を勉強する人は先ずユーザビリティについて勉強し、理解を深めてもらいたいと切に願っている次第であります。