俺が小学2年生のとき書いた『おこるとどれだけそんするか?』がヤバい。
実家にて荷物を整理していたところ、俺が小学2年生の頃に書いた伝説の本『おこるとどれだけそんをするのか?』発掘されました。
この本の存在については、大人になってからも何度か見返していたので、内容も把握していたのですが、デジタルデータとしてまだ保存していなかったので、今回無事にデジタルデータとして保存しました。
何度読み返してみても爆笑必死で、それでいて、とても深みがあり、俺という人間の根源が溢れんばかりに滲み出ています。
こんなヤバいものを大切に保管してくれていたオカンに感謝しつつ、みなさま宜しければご堪能下さい。
もくじ
- 第一部 おこるときどうおこるか 1〜2
- 第二部 こういうかんちがいはしないでほしい 3〜4
- 第三部 おこるとどれだけそんするか 5〜7
- 第四部 ふくしゅう 8〜9
第一部「おこるときどうおこるか」
おこると言うことは、そんである。
おとなは、すぐ、ちょっとしたことでおこる。
だいたいの人が、仕事で、ストレスが、たまり、子どもにやつあたりする。
しかし、かたでももめばすぐに気が変わる。
わたしは、これはふこうへいだと思う。
なぜならおとなは、力でものをおしつける。
いくら子どもが言いわけしても、言いわけするな。!
とか言ってぜんぜんあいてにしません。
第一部おわり
第二部「こういうかんちがいはしないでほしい」
さて、あいてにしないわけは、「あいては、しょせん子どもだ。」と思う人がほとんどです。
しかし、それは大まちがいです。そんなことを思う人はばかです。
では、とう思うかと言うと、「あいては、子どもだからおおめに見よう。」と思うのがふつうです。
あなたは、まちがっても、「あいてはしょせん子どもだ。」と思わないでください。
第二部おわり
第三部「おこるとどれだけそんするか」
おこるとどうしてそんするかというと、おこるたびにしわがふえる。
おこると、子どもがなく、そうするとすぐにあやまらないと、おやにたいして、むくちになる。うらむ。
あやまればゆるしてくれる子どもがいるがもっとひどくなると家出ぼうりょくをふるうふりょうとかになってしまうおそれがあります。
ですから、おこったら、すぐにあやまるという心がなかったらおこらないほうがいいとわたしは、思います。
あぶない子にそだってしまってはおそいからはやめにあやまったほうが、気もちがらくになるとわたしは思います。
第三部おわり
第四部「ふくしゅう」
ふくしゅうは、どういとことでおこるかをしらべて、「あいてはしょせん子どもだ。」と思わないで、「あいては子どもだからおおめに見よう。」と思って、おこったら、すぐにあやまらないととんでもないことになるからとんでもない子にならないうちにあやまりましょう。
これでふくしゅうをおわります。
ぎもんがあるかたは、つぎのページを、見てください。
おわり
この本のねらい
この本はちょっとでも子どもをりかいしてもらうための本です。
まちがって子どものみかたの本と思わないでください。
大竹智也
考察
この本は、私が母親に怒られた悔しい思いをぶつけて書き上げた作品です。怒られた後、一人でごそごそしていたと思ったら、突然この本を渡してきたそうです。なお、第四部の「ふくしゅう」は「復讐」ではなく「復習」という意味ですね。
どうやら、何かものを書くということについては、この頃から好んで行っていたようで、大きくなったいま、本を書いたりするようになったのも頷ける話で、どうやら小さいころからブレていないようです。
お陰で成長してからは、技術書Emacs実践入門を執筆したり、オンライン英会話ラングリッチを起業したり、フィリピン英語留学の語学学校サウスピークを手伝ったり、いまも新しい本を書いたりしています。
大きくなってからの私の考え方は、書籍採用基準の著者である伊賀泰代さんとの対談記事私が今、ぜひとも採用したい人:伊賀泰代×大竹智也【第1回】でお話しています。
もし、自分の子供がこんなものを書いたとしたら、可愛いと思うか、小憎らしいと思うのか正直わかりませんが、やはり、意外と子供は見ているところは見ているということだと思いますので、小学生のお子様がいる方は、ぜひ子育ての参考にしてみてください。