昨日3月26日のことですが、Ruby のパパこと、まつもとゆきひろさんが Award for the advancement of Free Software を受賞されたことを知りました。
FSF とはフリーソフトウェア財団のことで、Free Software Awards は1年に1人、フリーソフトウェアの世界に貢献した人とプロジェクトに贈られる表彰です。最初に受賞されたのは Perl のパパこと Larry Wall、そして Python のパパこと Guido van Rossum も受賞しています。
そして、まつもとさんはボストンで、「How Emacs changed my life」という発表をされたそうです。
本当にまつもとさんにお願いして良かった。
このスライドには、Emacsと出会ったことによって、まさに先日、人生のひとつの大きな目標であった「本を書く」という事を成し遂げることができた僕にとっても、共感することが大変多くありました。
また、Emacs実践入門の本書に寄せてを書いていただいた、まつもとさんが How Emacs changed my life という内容で発表されたことに、本当にまつもとさんにお願いして良かったと胸が熱くなりました。そして、なんかジーンと感じ入って目がうるうるしながら、この記事を書いています。
How Emacs changed Tomoya's life
せっかくなので、In my case ってやつを語りましょう。
僕はそもそもプログラマではありません(自称はIAです)。また、最終学歴は高卒ですし、有名なIT企業に就職したわけでもなく、そして一度も就職したことがありません。
住んでるのは地方都市で、確たるプロダクトを作った経験もなく、数年前の25歳まではただの地方フリーターでした。
普通に考えると、そんな人間が本を書く機会を得ることはとてもできそうにもありません。
ですが、僕は現代ではそれは「可能」と思っています。それは、今はインターネットがあるためです。
出来ると信じて疑わない。
高校を卒業してフリーターとなった僕が、将来どうするかを考えたとき、どうしたら学歴がない人間でも良い仕事が得られるようになるか考えました。
その答えば、自分で勉強して、ネットでどんどんブログを書いて有名になれれば、何とかなるだろうというものでした。非常に漠然としていますが、僕はとにかく、その考えを信じてブログを書き続けました。
ふり返ってみて、劇的な変化というものはありませんでしたが、こつこつ5年も続けていると、気がつけば、地方にいながら多くの方と交流することができていました。もちろんただネットを見ているだけでは、そんな交流はひとつも生まれなかったでしょう。
そんな交流の中に、元もじら組の組長こと、id:smellman さんとの出会いがありました。
組長は、僕のブログのEmacs記事を見て、もっと充実した内容が読みたいと思ってくれました。そのお陰で僕はWEB+DB PRESSに記事を書くことができ、そしてその延長として書籍まで書くことができたのですが、ここで大事なことは、いまの起業後の僕ではなく、当時の社会的には何者でもない、ただの tomoya を見て、そう思ってもらえたということです。それは本当に嬉しいものでした。
不安を消すために死ぬ気でやる。
雑誌に記事を書くということは、決っして楽な作業ではありません。自信が必要です。しかし、初めて雑誌に記事を書く人間が自信満々なわけがありません。不安も非常に大きなものでした。
ただ、やると決めたからには、自信を持たなければなりません。僕は自信を持つために、更に必死で Emacs について勉強しました。
まつもとさんのスライドにある事ほど学べていませんが、Emacs は僕に様々なことを教えてくれました。書籍のはじめににも書いていますが、Lispについては、Emacsに触れなければプログラマではない僕が学ぶ機会を得ることはなかったでしょう。
Emacs に出会えて。
僕はEmacsをオンリーワンでナンバーワンなエディタだと思っていませんが、出会うことができて本当に良かったと思っています。
人生を変えるという出来事は、確立された方法があるわけでなく、結句、時が経ってみないと気付くこともできません。それは、幾重もの偶然の重なりであり、確率も不明です。
ですが、Emacs が人生を変えたというまつもとさんがいて、そしてEmacsが人生を変えたという僕がいて、もしかするとEmacsによって人生を変えられたという人は他にもたくさんいるかもしれません。
Emacsは、そんな力があるエディタなのかもしれない、くらいは言っても良いのかもしれません。まぁ、何が人生を変えるかは人それぞれですけどね。