実名で活動すること。

Webでブロギなどの活動を始めてそろそろ10年が立つようです。
当初は、ブロギしかなかったのですが(僕はブログより前についてはよく知りません)、その後 orkut, mixiGREEキヌガサ)などのSNSFlickrYouTube などのオンラインストーレジ型CGMサービス、そしていま人気の元マイクロブログ TwitterSNS の最新(最終?)形態 Facebook などなど、様々なサービスが登場しました。
それらのサービスを利用する中で、僕は基本的に tomoya というアカウント(ハンドル)を一貫して使用していたのですが、ここ2年でスタートアップを開始したり、雑誌に記事を書いたり、書籍を出版したりと、実名での活動が徐々に増えてきました。
元々、ローマ字の実名(苗字の方ね)は別段隠したりしてなかったのですが、最近は漢字の実名がWeb上に増え始めているのを見て、なんか色々と思うところがあります。
実名と記名の違い、メリットデメリットについては、これまでにも様々な方が語っておられたので、そういう理論てきな見解はさておいて、個人的に感じたことをまとめてみたいと思います。

会社は仕方ない。

会社まぁ実名が出ても仕方ないかと思います。社員じゃないし。
もし会社と完全に分けたければ、会社に関する話題は一切避けた活動をしていくしかないでしょう。かわんごさんとか、違う人ですって言っても、ニュースで本人の発言って書かれる始末ですからね。

書籍について

書籍については、僕の場合、家族のために実名にしたという経緯があります。
親戚は進学校から国立大学、そしてお硬い職業へ就職するなか、僕はまぁ、大学にも進学せず、企業にも勤めず、プラプラとしていました。
僕としてはWebで色々活動してそれなりに有名になって、何とかするから大丈夫、と親に言っていたものの、ネットを使ったことのない親からすれば、ほんまに大丈夫かいな?と当然ながら不安であり、また意味不明であったはずです。
というわけで、きっと高校を卒業してから、これまで不安に思っていた両親(主に母と祖母)に対して、書籍というのは、これまで何をしてきたのかを認知してもらう非常に分かりやすい手段(というか実績)で、親を安心させることができる格好のアイテムでした。
というわけで、ペンネームではなく実名を使用したというわけです。
なお、別に親を安心させると言っても、直接的に親が安心させるのが目的ではなく、親が知り合いや親戚と近況報告をするときに「うちの息子は会社にも務めず、インターネットでよくわからんことしている」っていうと、ただパソヲタかニートにしか思われないので、(僕はそれでよくても親としては)肩身の狭い思いをするため、「よくわからんけど、本書いた」とでも言えれば、もしかすると肩幅も範馬勇一郎並に広くなるかもしれません。しかし僕はまぁ、自分の苗字について画数がすくなくてあまり好きではないので、お知り合いの人は、ぜひ tomoya、もしくはとんと呼んで下さいね。

発言の責任

最後に実名で活動すると、どうしても発言に対して、記名である以上に責任が発生します。
ともすると、批判を避けるために、発言が曖昧になったり、どっちつかずな発言が増えて真実味がないと言われてしまったり、ポジショントークと言われたりして、逆に非難を浴びるかもしれません。
また突っ込んだことを言うと、揚げ足を取られたり、物議を醸し出したりと、総じて自由度が下がったりして面白さが半減してしまいそうです。
もちろんそういった部分をひっくるめて、上手くセルフマネージメントができるのであればいいのですが、セルフマネージメントは常に状況や将来を判断してコントロールしなければならず、とても難しいスキルだと思います。
まぁ、何が言いたいかというと、自分が選択した行動とは言え、これから大変かもねってことが言いたかったのです。