都会人の生活様式の美と詩情

絵画における写実的、現実的な傾向は、19世紀の西欧社会全体の変動を背景とする大きな流れであった。しかし、それが芸術的表現に高められるには、優れた絵画的才能による伝統との対決を必要とした。
1980年代に登場するマネやドガ、そして後に印象派と呼ばれる画家たちはこの写実主義の流れに立ちながら、さらに新しい感受性をもって現実の世界に目をむけ、第2帝政期に構造転換した社会の新しい都会人の生活様式の美と詩情を、初めてみごとに歌い上げた。
パリに生まれたエドゥアール・マネは、始めアカデミズムの画家クーチュールに学ぶが、なによりルーブル美術館で過去の巨匠たちを自由な態度で研究することによってその画風を形成した。とりわけベラスケス、ゴヤなどスペイン絵画はマネに大きな影響を与えている。
草上の昼食
1863年の名高い落選展に出品されスキャンダルを引き起こした『草上の昼食』で若い画家たちのリーダーとなったマネは、1865年のサロンに『オランピア』を出品した。
オランピア
ティツィアーノなどルネサンス以来の横たわるヴィーナス像の形式を受け継ぎながら、そこに快楽主義的な現代のパリの象徴ともいうべき高級娼婦の姿を描き出したこの作品は、古典的な伝統を近代絵画へとつなぐ役割を果たしている。
マネはその後も、生き生きとした明るい色調と軽快で的確な筆づかいによって、人物を中心にすえた現代生活を主題にかずかずの名作を描いた。
マネより2歳年下のエドガー・ドガもまたパリの銀行家の家に生まれた。ドガは、マネと異なり印象派の展覧買いに参加したが、その作品は印象派と大きく異なるものであった。
競走馬
競走馬』からも見られるように、ドガは現代生活の様相を深く研究し、オペラ座や競馬場につどう上流人士から社会の底辺の洗濯女、娼婦までさまざまな階層を鋭い客観的な視点で観察した。しかしドガの作品は観察から自ずと生まれたと見える概観に反して、きわめて意識的に計算されたものであった。ドガの芸術は、古典的な伝統、なによりもアングルの先例に基づく知的な構図とデッサン力から生み出された。ドガの幅広い関心は、写真から日本の浮世絵版画にいたる広範な領域からも構成にアイディアを引き出していた。
エトワール
思いがけない光と影の効果のもとで、訓練された女性たちの肉体が様々な姿勢のヴァリエーションを提供してくれるバレエの世界は、こうしたドガの芸術にうってつけの素材だったため、『エトワール』のような構図、光の表現、ともに優れた見事な作品が誕生した。