孤高

狭義のバロック美術は建築ではボロミーニ、彫刻ではベルニーニに代表されるが、絵画の代表者はフランドル(南ネーデルランド)のリュベンスである。彼は17世紀初頭、10年近くイタリアに滞在し、古代と盛期ルネサンスの美術を学ぶ傍ら、活躍中のカルラッチカラヴァッジオの影響を受け、共に新様式の確立に努めた。ネーデルランドの画家たちの多くはイタリア美術の模倣の留まっていたが、リュベンスはイタリア美術の本質を体得した上で、これをネーデルランドの鋭い現実感覚と結びつけ、壮麗で活力に満ちた独自の様式を完成させる。
キリスト昇架
帰国直後の『キリスト昇架』では、ミケランジェロを想起させる力強い人体表現とカラヴァッジオ風の明暗法、さらに十字架を立てる行為を進行形で捉えた着想が、大画面に劇的迫力を漲らせている。後に各国の宮廷の建築装飾絵画も担当するようになり国際的に活躍していくことになるが、その奔放な想像力、輝かしい色彩、柔らかい筆触を生かした巧みな質感表現によって、豊かな生気を与える独自の様式が確立されている。
オランダ絵画を語る上で少しその独自の文化について説明しなければならない。中世から19世紀初頭まで、美術の最大のパトロンカトリック教会と王侯貴族であり、宗教画や神話画が中心的な画種で、注文制作が普通だった。ところが、オランダでは早くも17世紀には市民層が主な買い手となり、分かり易く親しみやすい作品を求めて、風景画、風俗画、静物画の独立・発展を促す。こうして生まれた近代美術市場ての熾烈な競争に勝ち残る為に、画家たちは自らの専門を定め、特定の主題を熟練した技巧で繰り返し描くことになったのであった。
夜警
17世紀オランダ最大の画家はアムステルダムで活躍したレンブラントである。ご存知の方も多いと思われるが、しかし彼は偉大な例外でもあり、静物画を除くあらゆる画種を手掛けている。しかし市民社会が彼に求めたのは肖像画である。『夜警』も市民自警団から注文されたものだが、彼は当時のオランダで公的性格の大画面を制作しうるほとんど唯一のこの機会を利用して、肖像画を構想画に変貌させた。集団肖像画では人物は整然と列をなして描かれるのが普通だが、この絵の人物はこれから隊列を組んで画中空間から歩み出ようとするかのように演出されている。強い明暗表現はカラヴァッジオの間接的影響が認められるが、微妙な表情の的確な把握は独自のものである。
自画像
ちなみにレンブラント自画像を多く描いたことでも有名なのでその中の一つを挙げておく。
このバロック時代に一人稀有な画家がいる。守備範囲としてはレンブラントに次いで広く、さらに独自の様式を確立しているという点ではこの時代において比類いのだが、寡作(約35点)のためか死後まもなく忘れられていたが、19世紀後半、その「近代性」が注目を集め、17世紀最大の画家のうちに数えられるようになったフェルメールである。『真珠の耳飾の少女
真珠の耳飾の少女
最近個展も開かれその作品を目にした方も多いをと思われる。その静的な作風、画面を浸す落ち着いた光の中で、あたかも静物のように捉えられ、日常性格の瑣末性を超えた存在となっている。光の反射を効果的に表す為に、彼は白い点を並べてハイライトとする独自の技法を工夫した。
牛乳を注ぐ女
作風として最も多く作品の残っている風俗画では、上品な家庭の静かな室内に一人または少数の人物(主に女性)が表されていて、『牛乳を注ぐ女』の壺の牛乳を鉢に注いだりといったふうな日常的行為に携わっている場面が描がかれている。
他にも各国で現実観察に基づいた風景画というスタイルが確立してきたのもこの時代である。オランダの風景画は特に現実的で、何の変哲もない自国の自然や都市の眺めを取り上げたりしながらも、構図の工夫と光や空気の印象の的確な把握によって、ありふれた風景から風景画の傑作を生み出した。そして後の時代にも大きな影響を及ぼすことになった。
ユダヤ人墓地
ロイスダールの『ユダヤ人墓地』は想像力でも作られているが、「世の虚しさ」の寓意を示すこの廃墟の風景では、劇的性格からより現実的なものとなっている。
これらのように、同じ時代で同じ影響を受けながらも、文化が違うとこうまでも差がでている。バロック絵画の代表者を生んだフランドルも文化の変化が無い為にリュベンス以外では自己を主張できたものはほとんどいなかった。このような傾向は芸術の分野以外にも顕著にあらわれており、自らの居場所というものが非常に重要な要素であることが伺える。