人の目というものは、飼い慣らすことの出来ない獣である。
自分は何者なのかという問いの答えは、視点によって異なるように、人から見える自分というのは、問いかける人によって全然異なる。
僕は正直言って、最近、自分の存在が自分の思っている以上の存在になってしまっているのではないかと懸念している。そして、それが非常に怖い。
自分の発言が思いにもよらない影響を与えることがありうる。
自分の存在が、自分が認識している存在と乖離している時、自分自身を制御できなくなくなる可能性がある。つまり、自分の行動が、自分の意思に反してしまうという事に他ならない。
例えば、僕がもし名前を言ってはいけないあのエディタについて、クソだと論じた場合、その真意がジョークであっても、人によっては真に受け止められてしまうかもしれない。
これは、言ってしまえば、僕の言葉がある一定以上の権威を帯びた魔法になってしまっているということだ。僕が望むとも、望まなくても。
自分の存在を小さくする努力が必要。
まぁ別に大小に拘らなくてよいのだが、自分の存在を自分がコントロールできる範囲にアジャストすることが非常に大事だと僕は思っている。自分が大きくなったと思えば、それに応じて大きくすればいい。
過小評価なんていうのは、能ある鷹みたいなもので、不満を持つ人が結構いるが、僕は良い面が多いと思っている。真に危いのは、過大評価の方で、こちらは、実力が伴なっていないのに、実力以上の期待をされ、結果を求められるからとても質が悪い。
要するに、適材適所、分相応が理想であり、ブログに随時クソみたいな記事を書き続けることが、今の僕には求められていると感じている。