伊藤かな恵さんについて。

僕は別にアニメおたくという訳ではないのですが、ツタヤ DISCAS を利用していた関係上、毎月仕方なく8枚のアニメDVDをレンタルし続けてるという生活を、ここ2, 3年ほど送っていました(フィリピン滞在時を除く)。
基本的には、レンタルしやすい旧作のシリーズものを借りまくるという作戦を続けていたのですが、継続は力なりというとおで、お陰様でだいぶ現代に追い付くことができました。
そんな中、伊藤かな恵さんに関する記事を見たのですが、僕の中でちょうど考えていた事とかぶる部分があったので、僕の考えを書きたいと思います。

演じ分けについて。

一般的に女性の声優さんは、男性より演じ分けが上手いです。あのキャラとあのキャラが実は同じ声優さんだというネタは尽きません。例えば、緒方恵美という男八段がおり、幽白の蔵間とエヴァのシンジであるというのは、声に興味がない人は、驚くことが多いです(他にもしんちゃんとリリーナとか。ってか、例が古い?)。
そういった例もあり、声優さんは演じ分けが上手い、または演じ分けられて当然という意識が知らず知らずのうちに刷り込まれている感がありました。
なのですが、一方男性に関してはどうでしょうか。
例えば、若本規夫さんという声優がいますが、彼はドラゴンボールのセルであり、ひと声聞くだけで若本wwwとなります。
つまり、彼の場合、キャラというよりは安定の若本という形になっており、また多くの人がそれを期待している節があります。

というわけで、伊藤かな恵さんについて。

最近、僕が見た作品の中で、伊藤かな恵さんがメインで出演していたのは、レールガンと花咲くいろはでしたが、どちらもまったくもって伊藤かな恵さんという印象でした。
順番的にはレールガン→いろはという順番で視聴したのですが、いろはを見た最初は、まったくもって演じ分けができていないのは、どうなのかと思ったりしました。しかし、ずっと作品を見続けていると、徐々にそういった演じ分けについて意識することがなくなり、佐天さんは佐天さんであり、いろははいろはでとても素晴しい演技だと素直に思えるよう気持ちが変化してきたのです。

女性にも安定の若本があってよい。

というわけで、僕の結論としては、女性だから演じ分けを期待したり、演じ分けられていないからと言って、それだけで役者としての評価をするのは間違いではないかと思うように至りました。
声色による演じ分けはひとつの技でしかない。本当の意味での演技というのは、声色で計るものでなく、キャラとしてぴったりあっているかどうかだと。そう、まるで相撲の四股名のようなものだったんだと気付いたわけです*1
そんなことを学びながら、いろはで号泣していた28歳の春でした。

*1:相撲界では、どんな変てこな四股名でも、強ければそれがカッコ良くなる。だから、四股名は自分で磨けという格言があるのです。例えば寺尾とかね。