ソーシャルネットな時代だから感じる自分にとってのブログの大切さ。

昨日から今日にかけて、早速東京で様々な人にお会いできたのですが、その中でブログを書き続けていて良かったなという事が幾つもありました。
今では、SNSTwitter など様々なソーシャルサービスがあって、それぞれツールとしての役割が違いますが、その中でもやっぱり僕はブログが一番自分にとって重要であり、大切なツールなんだなと再認識しました。

SNSTwitter との違い。

ここでいう重さというのは重要度という意味ですが、SNSTwitter も自分についてを配信する事が出来るという点ではブログと同じなのですが、ブログは前者よりも圧倒的にその人を広く深く知ることができると思います。
SNS でもブログは書けます。ですが、多くの人に見てもらうには向きません。また Twitter はその人の過去を遡るのには向きません。
ブログは自分が最も人に知ってもらいたい事を配信しやすいツールだと僕は考えています。そんなブログを読んでれている人と会うと、初対面なのに必ずと言って良いくらい仲良くなれます。

ブログで繋がる重さ。

ブログは結構読むのに時間がかかります。それなのにブログを読んでくれているというのは改めて考えると凄い事です。
自分が人に読んでもらえる記事を書けているということも重要ですが、それを読んでくれる人がいるということが最も重要です。そこで出来たブログを書く人と読む人という繋りには、自分が思っている以上に深く重い繋りがあるのではないでしょうか。

例えば、ネットのない時代に共通の趣味の知人を作るには。

ネットがない時代、僕がとある方面の趣味の人と仲良くするためのツールとして用いていたのが手紙です。つまり文通ですね。
これは一対一の関係なのですが、自分を知って欲しい、相手を良く知りたいという点においては、ブログを相互に見ているという状態にかなり近いと今では思います。

ブログを継続するには、相手が必要。

プラネテスで「船出には港が必要*1」というセリフがありましたが、これと同じようにブログを書き続けるには、それを見届けてくれる人が必要だと僕は思っています。
企業ブログなどと違い、個人ブログにおいて見届けてくれる人というのは、僕にとっては自分のことを知って欲しい人になります。
パブリックに配信されるブログは、文通時代のように自分で相手を見つける必要なく、自然と自分のことを知って欲しい人達がブログを見つけてくれるメディアなのです。なんて素晴しいのでしょうか。

ネガティブな事は基本見せない。

最後になりましたが、落ちのないネガティブさブログで見せつけもあまり楽しいことはありません。もし自分が救われたい、変わりたいと思っているのに、ネガティブな記事を書きつづけるのはやめた方が良いと僕は思います。
ただ、読んでいて楽しいネガティブというのもありますので、そういった例外は除きます。
そういうわけで、なんだかんだで19歳からブログを書いているので、もう8年も経ってしまったのですが、今更、というかまたも尚、そういうことを実感した次第であります。

*1:男が旅に出るには、伴侶というものが不可欠であるという意。