反印象主義の印象派

ジョルジュ・スーラもまた、印象派を出発点としながら、そこにルネサンス絵画のような古典的な秩序を与えようとした。印象派の筆触分割の技法に対しても、スーラはそれが十分科学的でないとして、シュヴルール、ルードなどの色彩理論を厳格に適用し、規則的な点描によって画面を作り上げる手法を生み出した。
[画像 / グランド。ジャット島の日曜日の午後]
さらにまた彼は、線と感情との関係にも合理的な法則性を求めた。しかしそこから生まれたのは、不思議な夢幻的印象を与える詩情溢れる『グランド。ジャット島の日曜日の午後』のような作品であった。
ポール・ゴーギャン印象主義の感覚主義的な現実描写に対して明確な反対を掲げ、1888年にいわゆる総合主義の様式を確立する。鮮やかな色彩を単純化された輪郭の中に平塗りする技法によって、想像力の生み出す概念、抽象的な気分を描き出すこの様式は、当時ゴーギャンの周囲にあったいわゆるポン・タヴェン派の相互影響の中から生まれたものであった。
[画像 / タヒチの女たち(あるいは、砂浜にて)]
ゴーギャン自身は、西洋文明の虚偽と退廃を憎み、原始的な生活の自由と真実に憧れて、1891年以降、タヒチなど南太平洋の島々を移り住み、ドミニック島で死んだ。この原始的な生活は、ゴーギャンの期待に反し、物質的にも精神的にも悲惨なものであったが、そのなかで総合主義は豊かな円熟をとげ『タヒチの女たち(あるいは、砂浜にて)』のような作品を生み出した。
ゴーギャンナビ派と同じように絵画のみならず焼き物、彫刻、木版画に優れた作品を実現している。