モネに対し

オーギュスト・ルノワールは初め陶器の絵付け工として働いていたが、1862年パリに出てグレールのアトリエに入り、モネたちと仲間になっている。
彼は絶え間なく変化する自然に目を向けたモネに対し、風景よりも子供や女性など人の変化に魅せられた。写実主義は農民や労働者など卑俗な主題を扱っていたが、彼はパリの中流階級の都会的な楽しみ、余韻の余裕に溢れた人々を描いた。
[画像 / La Grenouillere]
1869年、ルノワールはモネとともにブージヴァルに近いセーヌ河畔で、共に水面に映る光の反射の研究をしたことはモネと同一主題、ほぼ同じ構図で描かれている作品からもよくわかる(上がモネで、下がルノワール)。おそらくは、ともに画架を並べて描いたと思われる。
[画像 / La Grenouillere]
モネと比較するとおもしろいことがよくわかる。水辺の輝きなど自然の描写はモネが卓越している。しかし、人々の生き生きとした姿はルノワールのほうが遥かにうまいのである。
[画像 / ムーラン・ド・ラ・ギャレット]
[画像 / Dance at Bougival]
1876年の『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』はモンマントルにあった庶民的なダンスホールの男女を描いて、その後も新しいパリの生活の象徴ともいうべき作品を作り上げた。
[画像 / Le verger]
アルフレッド・シスレーも新鮮な風景画を数多く残している。彼の場合『Le verger』からも初めコローに心酔していたことがよく分る。
[画像 / 我が家の窓からの眺め]
その後、モネの影響を受け印象派となったのちも『我が家の窓からの眺め』のように自然の風景をこよなく愛した。