印象派

クロード・モネは疑いなく印象派を代表する最も偉大な画家である。ブーダンの感化を受けて画家を志し、パリを出てアカデミー・スイスやグレールの教室に学んでいる時、ピサロシスレールノワール、バジールらと知り合って印象派のグループを作った。
[画像 / ルーアン大聖堂、扉口とアルバーヌの鐘楼、充満する陽光]
印象主義はその先駆けとされるバルビゾン派ロマン主義的な自然に対する思い入れに対し、都市生活者の軽やかなまなざしを風景画に持ち込んでいる。それは『ルーアン大聖堂、扉口とアルバーヌの鐘楼、充満する陽光』などに見られるが、そんな近代的な主題もさることながら、なにより陽の光によって建物の輪郭とその影が浮かび上がる様を、今まで誰も成し得なかった自然な影への移行で描写している。
[画像 / ポプラ並木]
[画像 / 積み藁]
1880年代後半からモネはジヴェルニーに屋敷をもうけ、ポプラ並木積み藁睡蓮などのモチーフを連作という形式で描いて、刻々と変わる光の効果を追求したが、この感覚主義の極致というべき作品群はきわめて主観的、抽象的な性格を強めていった。
[画像 / 睡蓮1]
[画像 / 睡蓮2]
[画像 / 睡蓮3]
[画像 / 睡蓮の橋]
印象主義は主題の変化に加え、色彩や構図などの技法の上でも重要な革新をもたらしており、そのことについてはキーワードの説明を見てもらいたいが、この「視覚混合」は私的な意見としては身震いを覚えるような感動に包まれる。油彩の歴史を辿ればルネサンス時代のティツィアーノが作り上げたその近代様式が、ついに初めて進化したと言えるだろう。絵を御覧になるときは一度ディスプレイから離れて見てもらいたい。本当に美しい絵画が御覧頂けると思います。
[画像 / ラ・ジャポネーズ]
ドガなどにも見られるように日本の芸術は、19世紀の後半のヨーロッパ美術に幅広い影響を与えてジャポニズムと呼ばれる現象を引き起こした。
モネも例外ではなく、彼の妻に着物を着せた有名な作品『ラ・ジャポネーズ』を残している。