真の叙述としての始まり

1789年に勃発したフランス革命からナポレオンⅠ世の第1帝政を経て、1848年から1852年の第2共和制期にいたる時代のフランス美術は、美術史では一般的に新古典主義ロマン主義写実主義の3期に分けられて考えられている。そしてヨーロッパの他の国々の同時代の美術にもこの様式概念を適用して、フランスでの美術の変遷を基準としてその流れを記述する場合が多い。
ここから美術というものは大きな変化をみせていくことになる。それは市民社会の成立と発展の歩調にあわせて展開したといえる。ナポレオンは絵画を重要なプロパガンダとして利用した。芸術の真の叙述としての歴史が始まったと言える。
ホラティウス兄弟の誓い
新古典主義絵画で頂点と目される作品を制作した画家がいる。それがジャック=ルイ・ダヴィッドである。彼は『ホラティウス兄弟の誓い』などに見られるように限定された数の人物を水平線と垂直線を強調した構図に配することによって論理的な意味をもつ古代史の事件を明稜しに物語るという、ニコラ・プッサンの確立した物語画(歴史画)の手法の厳格な応用を見せることにより歴史画家としての地位を確立していった。
マラーの死
さらにフランス革命勃発とともにダヴィッドは美術関係にの制度と改革に携わるかたわら、『マラーの死』など革命の視覚記録としても重要な作品を描いた。このことは絵画というものの意義が大きな変革を見せている。芸術というものが今後歴史に介入するきっかけを作った一つの事件と言ってもよいだろう。このことは後のロマン主義写実主義においてより明確な意思を持つことになる。
皇帝ナポレオンの聖別式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠
帝政開始とともに『皇帝の主席画家』の称号を与えられた彼は大作『皇帝ナポレオンの聖別式と皇妃ジョセフィーヌの戴冠』を制作した。革命期とナポレオン時代のダヴィッドの作品は西洋絵画の伝統に負った整った形式性と記録的な写実性の結びつきが見られる。
一方彼は生涯にわたって古典古代芸術への尊敬を失わず、内容と様式の両面に古代志向が感じられる作品を描き続けて新古典主義の精神を19世紀に伝えた。
そんな彼は画家の中で恐らく最も政治に携わった者であり、そのことが原因でナポレオン失脚と同時に、ブリュッセルに亡命し、不遇のうちに亡くなるのだが、絵画と歴史を結びつけその存在を変えることができたのは政治家としての側面があったからに他ならないだろう。