バロックと呼ばれた男

芸術は一般的に絵画のみに依存する傾向にあるが、彫刻と建築も芸術を語る上で外すことのできない分野である。現代に措いては垣根という垣根が取り払われ、主義ではなく各個とした芸術としての分岐を見せるが、それはまだ数世紀先なのでそれまでは絵画、彫刻、建築の3分野を中心に話しを進めることにする。
17世紀を代表する彫刻家といえばベルニーニをおいて他にはいない。イタリアを拠点として活動するが、その影響力は西欧全体に広がっている。
聖テレサの法悦
彼のその技巧は瞬間的な表情・動作や対象の材質感を大理石で表現するという驚くべきものである。『聖テレサの法悦』では彫刻と建築を組み合わせることによって現実の光を巧みに取り入れている。神の愛を象徴する矢に貫かれ法悦に陥った聖女の姿が、天使とともに宙に浮かび、天井からの光を浴びているという情景。それを左右の壁面にあるこの礼拝堂の所有者一族の肖像彫刻(写真では見えないです)と観者がその神秘的体験を見守っているのである。つまり観者をも作品の一部とする虚構の世界を構築しているのである。
サン・ピエトロ大聖堂前の列柱廊
ベルニーニは建築家としてもローマの景観を新たに形づくっている。その代表作の一つにあまりも有名すぎる『サン・ピエトロ大聖堂前の列柱廊』がある。ミケランジェロが晩年主力を注いだものの遂に未完に終わった大聖堂は17世紀初頭に完成され、列柱廊は1世紀半にわたる建築工事を締めくくるものであった。
しかしバロック建築を代表するのはベルニーニの弟子でありライバルであったボロミーニである。彼の建築は独創性において比類が無い。18世紀の古典主義者がバロックと形容したのはまさしくボロミーニの様式なのであった。
サン・カルロ聖堂
サン・カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ聖堂』の正面を見てもらいたい。円柱などの構成要素こそ伝統に由来するものだが、それらの扱いはまったく独特で、壁面に波打つようなカーブが与えられており、まるで巨大な圧力によって歪んでいるような緊張が感じられる。
サン・カルロ聖堂天井部
そんな大胆な構想は内部にも首尾一貫しており、内部空間は張り詰めた雰囲気に満たされている。注目すべき天井部の複雑な凹凸による模様は当に比類無きと言われる所以だろう。
一般的なバロックの聖堂では絵画や彫刻による装飾が盛んに施されたが、ボロミーニの建築はそれらを最小限に抑えることによって、特異な壁面後世の効果を高めているのである。
バロックと呼ばれた男の所以たるべきは、それまでの規範からの逸脱というだけではなく同じ時代の作品からすらも逸脱しているところなのかもしれない。