国民。

id:yukatti さんが日本人のキーワードについて書かれていらっしゃるので、私も久しぶりに自分の日本人・・・というか国民の定義を回顧してみる。ちなみに国民としての意識のことについて書くのであって、国家概念や解釈などには一切触れない。
さて、その国に住んでいるだけでは国民とは呼べないだろう。国籍があるだけで国民と呼べるとも私は思えない。それでは、国民であると意識したときに初めて国民となりえるのかと言えば微妙に違うと思われる。では私の思うところ何を持って指すのかと言うと、単純ではあるが、『国のことについて考えているかどうか。』というものである。日本では近年の行き過ぎた左翼(右翼もですが)などによって、『(御)国のため』という言葉自体が禁句とされているが、国民が自国のことを考えることは当然である。国粋主義自体は悪ではない。そこに他国民に対しての差別意識が生まれることが悪なのである。
国のことを考えるというのは、よりよい繁栄を目指したものであり、それは経済よりも人心に依存している。そして共通することは国情がどうであれ、恒久の平和という道を踏み外してはならないということである。それが国民の最大の務めに他ならない。
結論は以上なのだが余談として少し話しを続ける。最近の日本では人の権利というものが台頭してきて、国の枠をも越えてきているように思える(参考→人主義など)。たまに、ふと思うのだが、国に権利というものは無いのだろうか。国が意思表示を出来ない以上やはり存在しないのだろうか。土地としてではなく精神上のものとしての日本であるのだが・・意思表示が出来ない以上、人間以外の動植物と同じであるのだが、動植物の意思はそもそもどうなのであろうか。
話がずれたついでに、地球(動植物も含む)に関しての友達の意見を思いだしたので紹介しよう。

自然が壊されて、地球が泣いているとか言うのは嘘やな。紫外線まみれになろうが、植物が枯れ果てようが、空気がまずくなろうが地球はどうも思ってない。寿命が尽きるまで変わらず生きつつけるわ。
結局のところ困るのは生き物だけ。特に人間やな。それをあたかも地球を被害者の様にして同情を誘うのは詐欺みたいなもので汚いな。動植物全部が死んで困るのも人間であって、現に何万羽の鶏が毎日殺されとるわ(彼はケンタッキーでバイトしてた)。それやのに、動物を保護しようなんて標語を並べること自体お門違いやねん。

口語にての紹介であるが、そういう彼は手塚治虫ファンである。
話を元に戻すが、日本において(特に若年者)は日本国について考えていない者が多数を占めると思われる。考えないから意見が無く、求めないため視野が暗い。ほぼ目に見える範囲でしか行動が出来ない状況である。このままでは自国のことを知らない民、日本人が出来上がってしまう。私も目下勉強中であるが、時間がかかる。学校教育で、なぜ有意義な歴史を教えてくれなかったのだと思うのもしばしばである。やはり歴史を知らなければ国の意思など分るはずもない。意思が分らずして、国のことは考えることは出来ない。国のことを考えずして国民とは呼べない。そういう方程式が成り立つのではないかと思う。