人主義。

先日ちらりと書いた『人主義』について詳しく書く。人主義とは造語であるが、読んだままで、人を中心とした考え方を持って主張とする、と言う意味である。これが今の世の中で至る所で台頭しているのが現代の問題の一つであると私は思う。
具体的な例を挙げるなら、馬鹿な PTA などによる教師の暴力事件などであろうか。『馬鹿な』といったが、それは全部が例に当てはまるわけではないからである。この『馬鹿な』によると、『暴力の発端が何であれ、人が痛い思いをしたということが悪である』という。本当に馬鹿な話しだ。この様な考えでは、論理というものは全て意味をなさず、道徳観念も捻じ曲げられてしまっているのは自明であろう。必然、世の中の理は、ことごとく崩壊せざるをえない。
至極、端的に書いてしまっているので少し柔らかめに書こうと思う。問題は人というものの価値が上昇していることに寄る。世界では人と倫理の位置はどのような差があるのだろうか。人という生き物が倫理を越えて存在することはサルに成り下がってしまうことは今まで口をすっぱくしてまで言われてきたはずだ。しかし、現在の日本ではどうも人間の価値が倫理よりも上回ってきている様に思えてならない。それは先に述べた例などもあるのだが、人の命の大切さなどと、まるで道徳観念に訴えかけるような文句を並べているが、元より命などは道徳観念には考慮されている節はない。いつから宗教と一緒になったのかが聞いてみたいものである。そのくせに、そういう人にかぎって無宗教と粋がる。無宗教のどこが優れているのかも聞いてみたい点の一つだろう。
話しが反れてしまったが、道徳観念が捻じ曲げられてしまっている所が当面の問題なのかは断定できないが、一つの重要点であることには違いない。それは先代までの儒教からの支配が軽くなったことが原因であるかもしれない。今まで積み上げられてきた学問の放棄というのは実に恐ろしいものであると身をもって体験している稀な世代であると私は思う。
しかし、そのような感慨にふけっている場合でないことも確かだ。解決策は一つしかないだろう。教育である。だが、まず具体的とはいえない。しかし、家庭教育の腐敗が招いた結果であることは確かなはずだ。そのへんを変えるには私では当然ながら力なき草であるとしか言い様がないが、考えることだけは止めることは無いだろう。しかし、何ともやり切れない気持ちだなー・・。