歴史観と人生観

 『コラムっぽい』は、僕の肝となるコーナーのつもりです。日々考えたことを書くだけなのですが、何か意見をくだされば幸いです。というか是非、意見ください。
 では本題。歴史観というのは、単純にそれぞれの歴史の見方と考えてもらって結構です。最近の人は実に歴史に興味がないように思えます。『所詮、昔話だ。』とでも思っているかの様です。しかしそれは致し方ない所かもしれません。なぜなら、国家自体が歴史というものを昔話に追いやり、教えるのはただの事象としての出来事であり、到底正しい理解は不可能に近いです。当の僕自身も数年前までは、歴史に関して大きな間違えが多々ありましたし、今でも少なからず、それは存在していると思います。
 しかし、歴史の正しい認識というものは、人生観というものに大きく作用します。それは、過去を知ることにより、人は自分の居る位置というものを正しく認識することができます。つまり、そうすることによって、自身に対して確たる基盤というものが築かれるのです。そうしてこそ人は正しい行動を行うことが可能になるというわけです。
 歴史を知り、自らの基盤を作るというのは、歴史観を確立することに他なりません。つまり、歴史観あっての人生観となるわけです。
 そこで方法としては、テレビを見ることを即座に止め、本を読むべきです。
 というのはいささかテレビ嫌いの私情出過ぎているので、一般的とはなかなか言えませんが、テレビから流れている情報(放送全てと、とってもらって結構でしょう)が非常に大きな悪影響を与えているという事は普通に考えても明らかだと思います。まあ、それに関してはとりあえず置いておくとして、歴史を学ぶためには、本を読まなければならないのは事実だと思います。しかし、現代では、テレビの所為で(まだ言うか・・)読み物嫌いな人が増えてしまっているのが現状です。それに対しては今現在、目下構想中ですが、そうするとつまり、今は本を読むしか術が無いと言うことになります。昔であれば、幼少のときに親などが無理やりにでも日本外史などを読ませたものですが、今ではそれも望めない訳ですし(だからの今だし)。これに関しては、今は本を読めとしか言い様がないので取りあえず、ここまでに留めて置きます。
 話を戻して歴史観のことですが、具体的に言えば一番最近で、しかも最も(事象が)詳しく伝わっている『幕末』あたりを理解することが、(歴史観の)確立に向いているのではないでしょうか?国家形式もかなり現代のそれと近づいて参りましたし、いまでも多用される言葉の『義務・権利』などが生まれたのも明治に入ってからですし(それまでは御家でしたからね)、日本という国がもっとも揺れた時代でもあります(昭和の戦争前後は揺れたとは言わんでしょう、しかも未だ不明確な部分も多くありますし)。
 この時代あたりの人達は、国家のというものに憂い、実際に行動することによって時代を勝ち取ってきた者達にの時代でもあります。(解釈による違いはありますが)誰しもが日本という国について考えていたのです。最近の『日本なんか嫌い』とか言うような、大した考えもなしに無責任な発言ばかりをして、まったく行動をしない若者とは根本的に違います。何も考えがないと言う点では宗教家よりも遥かに劣るのではないでしょうか?(これは宗教家を悪く言ったのではなく、宗教家を劣っていると思っている方に向けた皮肉です。)
 ともあれ、日本が嫌いと言いながら、この国でのうのうと生きている若者に生きる意味があるのかと考えてしまいます(答えは多分、『無い』でしょうが)。つまり、歴史を学ぶことによってこそ、誇りある生き方ができるという所でしょうか(最近は誇りという言葉は、時代の所為でひどく恥ずかしいものになりましたがね)。
 ちなみに、僕はまだ十代です。これを読まれた方の中では、「同世代にそんな偉そうなことを言われて素直に聞けるか!」とヘソを曲げる方もいるかもしれません。しかし一つだけ申せば、「そんな狭い視野の発言しか出来ない方は、はっきり言って、自らの成長を自分で妨げているのに早急に気がつくべきです。」とだけ言っておきます。
 最後にお勧めの本を紹介しておきましょう。
 司馬遼太郎の『最後の将軍』(ASIN:4167105659)です。また機会があれば詳しく説明しますが、徳川最後の将軍『徳川慶喜』を主人公に書いた小説で、幕末の政治的動向を最も色濃く描いた小説だと思います。これ一冊で幕末の政治的動向については、ほぼ理解でき、かつ、日本と言う国についても考えさせられることになるでしょう。