僕の最初で最後のRuby会議。

気付けばもうRuby会議が終ってから10日くらい経っちゃうんですけど、ちゃんとRuby会議の感想を書いて僕のRuby会議をクロージングしておきたいと思います。

まずはありがとう。

最初にRuby会議という素晴しいイベントを運営してこられた全ての方にお礼をしたいと思います。
ぶっちゃけた話、自分でRubyのコードを書いたことは1行もなく、そして、初めての参加にも関わらず、あんなにもアットホームな空間が待っているとは夢にも思いませんでした。全てはこれまでRuby会議を運営してこられたスタッフの努力の結果だと思います。
間違いなく、技術系カンファレンスの最高峰でした。ありがとう。

右見て知り合い、左見て知り合い、知り合いの知り合いは知り合い。

アットホームという感覚を得られた最大の要因は、知り合いがとても多かったからに他なりません。
ホールの外にいると、わんさか会うは会うは再会の数々。また、外に食事に行くと、入ったお店でまた別の知り合いに会ったりと、練馬の街が四六時中誰かにお会いできる非常に刺激的な異次元空間になっていました。
そして驚くべきことは、僕が全然別の場所で知り会った方同士が、また別の場所で知り合いになっていて、「えー、◯◯さんと◯◯さん、なんで知り合いなんww」という現象が連発で、ほんと驚かされました。
会期中にお会いできた方々、いっぱいお話して頂いて、本当に楽しかったです。ようやく初めて会えた方も沢山いて、それもまた嬉しかったです。
なお、僕自身は関西在住のくせに、なぜか関東の方が知り合いが多いという自分でも謎な一面があります。

まつもとさんのキーノートの話をしましょう。

まつもとさんのキーノートは大変刺激を受けました。ああいう、かかってこいやーという姿勢は、これまで年上の人と接する時間の方が多かった自分が、今後おそらく年下の人と接する時間の方が多くなっていくだろうという状況の中、僕もぜひ見習っていかなければならないと強く感じました。
どうでも良い話、僕は漫画とかに出てくる最強の老師キャラとか大好きで、全部俺が倒すというまつもとさんの姿勢は、僕の中でそういう無敵キャラとオーバーラップしました。僕の目指すべきひとつの姿と言えます。

Rubyの生き方。

会場では疲れもあり、質疑応答の際、質問が思い浮ばなかったのですが、帰りのバスで聞いておけば良かったなぁという質問をひとつ思いつきました。
それは、Rubyが100年の言語になるための生き方です。
古い言語で未だに生き残っているものとしてよく挙げられる2つの言語、CとLispがありますが、Cはチューリングマシンを具体化したフォンノイマンアーキテクチャに特化した言語で、おそらくコンピューターが今のアーキテクチャを維持する限り使われ続けるのでしょう。
かわってLispは、LISPマシンはほぼ滅びたものの、シンプルで美しい仕様から、SchemeClojure など様々な方言を生み出し、今後も様々な言語の種として、遺伝子の中に残っていくことでしょう。
Rubyは、このどちらの生き方を選ぶのか、はたまた両方を得るのか。会期中には組込みのお話もあり、またキーノートでは未来の Ruby は今の形の Ruby じゃなくてもいいというお話もあり、僕はどちらも追い掛けていくのかなぁなんて思ったわけですが、直接聞ければ良かったなと思いました。

みなさん、またどこかでお会いしましょう。

こんな楽しいイベントが終ってしまうのは残念ですが、またどこかで会えると信じて頑張っていきますので、みなさん、またどこかでお会いしましょう。
というわけで、これにて僕のRuby会議は終了です。